□投稿者/ kaoru-I -(2007/09/29(Sat) 17:42:28) [ID:hyogfWR8]
| バッハとブクステフーデについて
バッハは18歳でアルンシュタットの教会オルガニストになります。 20歳になりバッハは、リューベックの聖マリア教会のオルガニストであったブクステフーデの演奏を聴きにいきます。 毎年開催されていた「夕べの音楽(アーヴェント・ムジーク)」という盛大な音楽祭でブクステフーデはドイツ中で人気を博していました。 4週間の休暇をもらいおよそ370キロの道のりを徒歩で旅しました。 旅の途中お金も無くなりお腹がすいて、ある民家の軒下で休んでいると、窓から鰯の頭が投げられてきて、見てみるととの中にはコインが入っていたそうです。 リューベックでブクステフーデの音楽にすっかり虜となってしまったバッハは、4週間だけの休暇でしたのに、アルンシュタットへ戻ったのは何と4ヶ月後でした。 バッハの才能を見込んだブクステフーデは自分の後継者にならないかと、教会オルガニストの座を引き継ごうとします。 但し、バッハよりも10歳も年上の娘の婿になることが条件だったのでバッハはそれを断りアルンシュタットへ戻ります。 既にバッハには最初の妻となるマリア・バルバラと出会っていました。 しかしその前にもブクステフーデはマッテゾンやヘンデルにも声をかけていて断られていたのですが、かわいそうな娘さん、相当器量も良くなかったみたいです。 アルンシュタットへ戻ったバッハは休暇を3ヶ月も延長した上に教会でオルガンの即興をしたり、何やら「耳慣れぬ音」を弾く(すっかりブクステフーデに影響を受け)ので、聖職会議で喚問され大目玉をくらった!・・・・ と言うのが有名な逸話です。 バッハの人間性が随所に出ていてバッハのエピソードとしては好きなもののひとつです。 ブクステフーデに多大な影響を受けたバッハはその後、初期のカンタータや、精力的にオルガン曲を生み出します。 バッハが「夕べの音楽」で聴いた曲というのは何だったのかは、文献が残っておらず、未だ不明です。 あの有名な「トッカータとフーガ ニ短調」もこのころ作曲されたようですが、バッハの曲ではないかもしれないという説もあるそうです。 いずれにせよ、バッハに大きな影響を与えたブクステフーデの死後300年という記念すべき年であります。 (私の記憶が間違っていたら訂正願います)
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